ヨガの聖地、インドでヨガのインストラクターの資格を取得しました。
その期間は、インドのヨガアシュラムに1か月程滞在をして、ヨガの勉強をしながらインドの文化についても体感することができました。
ヨガを勉強するための、インドのアシュラムでは、朝起きてから夜寝るまで、ヨガの先生および、他の国からヨガを勉強しに来ている生徒仲間と、共同生活を行います。
ヨガの授業はもちろん、三食をも共にしますので、みなとても仲良くなります。
一か月間のつらい練習と、毎日襲われる筋肉痛を共に乗り越え、卒業試験に向けて勉強をするのですから、お別れの時はとても辛かったのを覚えています。
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そんな生活の中で、やはり話題になるのは各国・各文化の恋愛事情についてでした。
特にヒンドゥ-教の多いインドの人々の恋愛観は、その他の文化の人には新鮮で興味深いものでした。
インドのヨガの先生は、興味深々の生徒の質問に答えてくれていました。
インドのカースト制度とは?
インドの恋愛の話題になれば、必ず出てくる「カースト制度」。
これは身分制度のようなものです。
インドでは「ヴァルナ」「ジャーティ」と呼ばれています。
この「ヴァルナ」の中で4つの階級
バラモン
クシャトリヤ
ヴァイシャ
シュードラ
があります。
そしてジャーティは、それぞれのカーストの中で、さらに職業によって細分化したものです。
紀元前にアーリヤ人がインドに移住する際、先住民であるドラヴィダ人を当初の下位の身分としたことがきっかけと言われています。
1950年に制定されたインド憲法の17条によって、カーストによる差別は禁止されるようになりました。
しかし、人の心や習慣に根づいたものは法律だけでは変えることが難しく、まだ階級制度による差別などが残っている場面があるようです。
カーストによる身分違いの恋愛
違う階級同士の結婚は禁止されています。
そのため、この階級制度が原因で起きる問題はたくさんあるようです。
違う階級の人と恋に落ちてしまった場合、周囲に反対されるために駆け落ちをせざるをえなかったり、反対を押し切って駆け落ちした場合、その家族一族の「名誉殺害」と考えられ、一家の名誉を守るために、親や親族が駆け落ちした二人を殺したりする事件が発生しているのです。
ムンバイなどのIT事業が盛んな都市では、この階級制度の意識は薄まりつつあります。
その個人個人の考え方にもよりますが、今でも地方や年配の方の間では、カーストは色濃く残っている地域も多いようです。
若いインドの人の考え方
それでは、インドの若者たちは、このカースト制度をどのように思っているのでしょうか。
アシュラムにいた20代後半、30代のインド人男性達とも話をする機会がたくさんあり、いろいろと意見を聞かせてくれました。
まず、ドラマのテーマになりそうな「階級制度の違いの恋愛について」。
「許されない恋愛」であるにも関わらず、違う階級の人を好きになったらどうするのかというのは、インド国外の人にとってはとても興味深い疑問です。
インドのアシュラムのスタッフによると、驚いたことに、そもそも相手の階級を知っている場合は、同じ階級でない人は好きにならないそうです。
既に階級が違う場合は恋愛対象にならないのだと。
ここで、相手がどの階級に属する人なのかどうやってわかるのかと、疑問がわきます。
インドでは村や地域のコミュニティが強く、どの家族がどの階級に属しているのか皆知っているそうです。
違い階級であればそもそも恋愛対象に感じないため、困ったことはないそうです。
しかし、最近世界で人気が高まっている「インド映画(ボリウッド)」では、この階級違いの恋はテーマになっていることが本当に多いのも事実。
おそらく、苦しんでいたり悩んでいる方はたくさんいるのではないかと私は感じました。
だからこそ、そのような小説や映画が人々の共感を呼び、人気となっているのでしょうから。
そして何より、映画や小説などの文化は、人々の声を上げる手法の一つですから。
階級意識は現存
アシュラムの中で、カーストによる差別を目にすることはありませんでした。
しかし、カースト意識、つまり分業という意識は強く残っているように感じました。
例えば宿泊施設の中で、インドの人は、給仕係をしている人に対する態度は、あまりよくありません。
「食事を客に給仕するのは、彼らの仕事であるから当然である」というのが、お客の一般的な考え方のように見えました。
もちろん給仕係に失礼を働いたり、侮辱することはありませんが、特段感謝しているようにも見えなかったのです。
ただ、それらの客が意地悪であったり、心ない人では決してないとお伝えしたい。
なぜなら、彼らはそのような教育と習慣の中で育ち、それが当然だと思って生きてきたからです。
逆に彼らからすると、他の国や文化の人が、給仕係に感謝を何度もしていると、不思議に映るでしょう。
考え方を変えるのは難しい
私のヨガの先生は、先生にご両親は村で階級の高い方であったため、毎日家に周囲の人が食べ物を持ってくるのだと言っていました。
この先生は、自分がヨガを学ぶために家を出てアシュラムに行くまでは、それが当然であり、それを「理不尽だ、不平等だ」と思う人がいることに、気づかなかったそうです。
もちろん、このご両親が、他のこと(例えば政治などの仕事)で周囲の人に貢献しており、それで村のシステムが成り立っているのであれば、理不尽なことは何もありません。
ただ驚いたのは、この先生が、両親が食べ物をほかの人からもらっているのを当然として、これまでずっと生きてきたという点です。
その世界しか知らなければ、それが基準になります。
そしてこのヨガの先生は、実家を出てヨガの勉強をし、他の世界を見たことで、それがインド以外の場所では普通でないことを知ったのです。
彼は宿泊施設のスタッフ全員に対しても礼儀正しく、とても丁寧な方でした。
生まれたときからずっと、当たり前だと思ってきた慣習に対する認識を変えるのは、難しいことです。
例えば日本のように、たとえ自分がお金を払っていても、レストランのウエイターやお手伝いさん、誰にでも感謝をし、お礼を伝えることがよいことだと、一般的に思われているにもかかわらず、彼らに冷たく接することは、尊敬できることではありません。
他に人を喜ばせる方法を知っていて、選択肢があるにもかかわらず、あえて人が喜ばない方の行動を選んでいるからです。
しかしながら、インドで生まれ育てば、この選択肢がそもそもない場合があるのです。
この選択肢を知らないのであれば、せめる事はできません。
価値観の押し付けはせずに
インドのアシュラムにいる間に、インドの先生や他国の生徒と、いろいろな議論をしました。
カーストの話はもちろん、女性の権利や社会進出、宗教、恋愛についてなど。
一方の考えかたから他方を見ると、それが理不尽であったり権利損害であるように見えますが、何が正しいのか、答えはありません。
私がただ感じたのは、いろいろな世界や文化、人の考え方に触れることで、これまで自分が信じてきたことに疑問を持ち、自分の行動に選択肢を増やし、自身と他人が最も喜ぶ行動を選ぶべきだ、ということです。
インドのアシュラムでは、ヨガはもちろん、今後生きていくうえで大切な「行動の選択肢」が増える場所です。
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