ヨガ哲学

ヨガの教え「アビヤーサ(Abhyasa)」とは?感情に振り回される瞬間こそ、アビヤーサの真価が問われる。

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「やろうと思ったのに、三日坊主で終わっちゃった…」

「続けたかったけど、なんだか気持ちがついてこなくて…」

このように、意志の弱さや、やる気の波、感情の波に悩んだことがある人は多いはず。

ですがヨガの世界には、そんな人間らしい弱さに、厳しくも静かに道を示してくれる言葉があります。

それが アビヤーサ(Abhyasa)

ヨガ哲学の中でも非常に重要とされている概念で、

その意味は「長期的・一貫した修練の継続」。

ここでは、アビヤーサの本質やその背景、日常への活かし方についてご紹介していきます。

アビヤーサとは?ヨガの哲学が伝える日々の修練

瞑想する女性

アビヤーサ(Abhyasa)は、サンスクリット語で「繰り返すこと」「反復練習」「習慣」といった意味を持ちます。

ヨガの経典『ヨーガ・スートラ』では、

心を静めるために必要なのは「アビヤーサ(継続的な実践)」と「ヴァイラーギャ(執着を手放す心)」の2本柱であると明言されています。

つまり、ポーズや呼吸法、瞑想などの実践を、

長期的に粘り強く続けていくことこそが、心の浄化と平穏につながっていくのです。

ここで大切なのは、特定の成果を追いかけるのではなく、行為そのものに集中すること。

1日5分でも、気が乗らない日でも、自分の実践を見捨てず、手放さず、積み重ねていく姿勢。

それがアビヤーサです。

 

なぜ「継続」がそんなに大切なの?

私たちの心は常に揺れ、ブレやすいもの。

昨日はやる気に満ちていたのに、今日は理由もなく無気力…。

集中していたと思えば、気づけば雑念に飲み込まれている。

このように不安定な心を少しずつ整えていくためには、

自分の内側に向き合う「訓練」を根気強く続けることが必要です。

ポーズの練習で身体と心の癖に気づき、
呼吸法で意識を「今ここ」に定め、
瞑想で思考の波に飲まれない強さを養う。

それらを「やりたいときにだけやる」のではなく、どんな日も向き合い続ける覚悟を持つこと

それがアビヤーサの本質です。

修行的な地道さの中にこそ、気づきと変容は育まれていきます。

 

日常の中にアビヤーサを取り入れるには?

本の上のジャスミンの花

アビヤーサは、特別な修行者だけのための言葉ではありません。

日常の中でも、誰もが自分なりのアビヤーサを持つことができます。

たとえば、朝の目覚めとともに、毎日マットに立つこと。

寝る前の呼吸観察を欠かさないこと。

一週間に一度は必ずヨガの時間を確保すること。

物事の派手さではなく、一貫性が大切なのです。

結果や変化を焦らず、淡々と「行うこと自体」を目的とする。

その姿勢が、心のブレを少しずつ静め、自己信頼を育てていきます。

「また今日もやれた」
「昨日はできなかったけれど、今日戻ってこれた」

そうやって、自分自身との信頼関係を築いていきましょう。

 

感情に振り回される瞬間こそ、アビヤーサの真価が問われる

「なんかもう全部どうでもいい」「もうやめる!知らない!」

そんなふうに感情の波に飲まれて、衝動的に大切なものまで投げ出したくなる日もあります。

でもアビヤーサとは、その「今この瞬間の気分」に流されず、

もっと奥深いところにある自分の意思とつながり続けること

続けると決めた自分、やりたいと感じた過去の自分、未来を見つめる静かな自分。

その声に耳を澄ませ、たとえ一歩でもいいから前に進む。

それができた日こそが、最も尊いアビヤーサ(=一貫した修練の継続)の実践なのです。

 

まとめ:アビヤーサは、揺らぎ続ける私たちへの道しるべ

「アビヤーサ(継続的な実践)」は、地道で孤独な道に思えるかもしれません。

でも、その積み重ねが、自然と変化を引き寄せ、心の静けさへとつながっていくのです。

揺れる日も、投げ出したくなる日もあるでしょう。

それでも、もう一度マットに立つ。

その小さな決意の繰り返しが、人生そのものを穏やかに整えていく力となります。

アビヤーサとは、ただ「続ける」だけではなく、自分の本質に向き合い続ける勇気なのかもしれません。

あなたの中に、その火を灯し続けてください。

 

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